とりあえずテキストのみ。熱い内に記しました。ぼちぼち写真や装備などをアップしていきます。

2004秋 自宅〜熊野本宮 歩き旅日記

●プロローグ
 本州最南端の潮岬へ紀伊半島を縦断して旅することを旅を考え始めたのはいつの頃だろうか。自宅から真っ直ぐ南に向かって進めば岬に出るのが魅力的だった。幾百の山を越えて海を見て感動する自分が想像できた。
 しばらくは自転車で行くことを考え、この道は自転車で越えられるだろうかと地図の旅を楽しんでいた。その後、風水にこだわりを持つようになり、南が吉方向となる時期に徒歩の旅を計画するようになった。
 そして2004年10月にその時はやってきた。折角だからと熊野古道も組み入れて予定を組んでみた。大和郡山→下市→西吉野→十津川→熊野→那智→潮岬の計画だ。6泊7日ではぎりぎりの日程だが、とにかく行けるところまでがんばってみようと。西吉野まではR24とR168、そこから山道(熊野古道)で果無の山を越え熊野。その後、雲取を越えて那智。その後はR42と古道を歩いて串本へ出る。
 こんなに歩き通すのは学生時代の剣→槍以来だが、8年連続フルマラソン完走の体を信じて(過信して?)旅は始まった…


●初日(2004年10月10日)晴れ

 暗い中、自宅を出る。15分程歩いてから歩数計をリセットするのを忘れていて少し損した気分。
 橿原神宮までは歩いた事があるので、その時のペースとの比較で何となく今日の到着地が予想できそうだ。

5:30 自宅出発

6:40 庵治町 5892歩 ここから24号線に出る。日は出たが車はまだ少ない。歩道をてくてく歩く。

7:50 十市町 13912歩 

9:00 近鉄橿原神宮前駅 22040歩 ここから先は未知の世界。ちょっと不安だがまだまだ快調。ただ車道を歩くのはちょっとつらいなぁ。

9:55 近鉄壺阪山駅 27854歩 少し足にきたかな。駅のベンチで休む。自販機まで飲料を買いに行くのもちょっと足を引きずる。ここから道が狭い。歩道がなかったり。あっても狭かったり。途中のローソンで昼食を買う。500の水のペットボトル2本とおにぎり3つを買う。

10:45発 コンピ前で広げ始めたが余りに味気ないので、少し歩いた住宅街への引き込み道に腰を下ろして大休止。結局、これがトンネル前で最後のコンビニ。後は芦原下までなかった。よかった。
いよいよ芦原峠越え。歩道のある右側をそのままたどると新芦原トンネルに導かれる。歩道はあるが、迫りくる大型車両の大音響には正直びびる。これで歩道がなかったら‥(後でその機会はやってくるのだが)と思うとぞっとする。この長さでも車の通らない静寂の時がくる。叫ぶと反響が残っておもしろい。

11:45 桧垣本 37968歩 一山越えてついに吉野川に出た。とりあえずの第一目標到達。歩き始めは厳しいけど、うーんまだまだ行けるぞ。橋を渡って下市の町に入るが右上の広域農道が広そうなので予定を変更してそちらをたどる。しばらくすると斜面は柿ばかり。そうか吉野は柿の名産地だった。ちょうどシーズンで無人販売のスタンドも多い。だいたい300円ー500円で10個くらいか。スーパーで買うよりずっと安い。柿を満載した軽トラックと何台もすれ違う。

12:45 丸尾 43319歩

13:40 樺の木峠 48037歩 ここから先は交通量が極端に減る。車の少ないのは気持ちいいが、全然来ないと少し不安になる。山道をぽつぽつと歩く。

14:42 十日市 55043歩 どうやら西吉野まで届きそうだ。郵便局前で一服して妻に今夜の宿を頼む。

15:55 黒渕 柏荘到着 62336歩 なんとかたどり着いた。早速風呂をもらって、食事をし、19時には寝た。ここで足のケアをもう少ししておくべきだった。



●二日目(11日)曇り

6:55出発 気の良い柏荘の女将さんから見送りを受けて出発。足裏が痛むが歩き始めはいつもそうで、そのうち足が馴染むはず‥と経験で思っていたが、今回は少し重傷だった。

7:55 金比羅館前 7491歩 本当は旧道を行く予定だっがよく確認せず大きい方に進んでしまった。結果はどちらでも良かったかもしれない。ただ、道からみた西野の集落はよくあんなところに家を建てたもんだと…。西のトンネルに入る。芦原峠で経験済みなので慣れたもんだ。ただ対向車に分かるように今回はハンドライトを手に持った。こんなところの歩道を使う人はいないと見えて所々歩道が草木で覆われて歩きにくい。

8:47 水谷集落との出合 12161歩 今日のメイン新天辻隧道への厳しい登りが続く。歩道がなくなるが路側が広い上、車もひっきりなしではないので危険は感じない…かったのだが、新天辻隧道の入り口で立ちすくんだ。歩道がない!!。隧道との名前にある程度覚悟はしていてもののそこから出てくるダンプを見ると、ある程度の思い切りが必要だった。昭和34年開通当時は人が通ることをどう考えていたのだろうか。戻って旧道行くことも考えたが、ええいままよ。道は車のものだけではない。暗く濡れているトンネルはハンドライトを手にするも足下ははっきりしない。でもハンドライトは足下を照らすのではなくあくまで、対向車に己を知らす手段。気付いて速度を緩めて避けてくれると本当にホッとする。約15分。転ばなくて良かった。

9:45 大塔道の駅 17940歩 神経をすり減らした隧道を過ぎ、かなり早い昼食をとる。肉キノコうどん。10:10発これからは下る一方。

10:55 阪本 23587歩

11:50 猿谷ダム 28168歩 明らかにペースが平地と違う。当然、登りの道はそれが理解できるが、川が下っているこのダム沿いの道でも思うように距離が伸びない。これは体がへばっているのか、地図以上に道が曲がりくねっており実距離が長いのか、、そのいずれとも思えるが、先が思いやられる。道が細いところが所々出てくるが、交通量が多くないので、気になる程ではない。これでトラックやダンプがばんばん通ったら堪らない。

13:20 大塔温泉 38125歩 宇井の崩壊箇所の迂回路を通る。人くらい通れないかと思っていたが下から見ると完全に崩れ落ちて道のガードレールが下まできていた。現在この付近は抜本的なバイパスをトンネルと高架で造成中。こんなところがR168沿いには数カ所あった。便利で安全になるのは良いことだろうけど、素朴さが失われると思うのは都会人の奢りだろうか。ほかにも街道沿いにはドコモのアンテナがたっており、ほぼ100%通話圏。挨拶をしてくれる中高生が携帯片手にぐれていきそうでなんか嫌だ。

14:20 長殿発電所 44389歩

15:00 旭口 47171歩 完全に足にきた。左足の小指が非常に痛む。靴は履き慣れたものだったのだが新調したソックスが厚めだったのが失敗か。ここで靴下を脱いで確認すると小指全体がマメ状態で腫れ上がっており爪が浮いていた。とりあえず絆創膏を巻き直す。

15:45 上野地 51000歩 ここは谷瀬の吊り橋があるところ。足を引きずるようになんとか到着。お宿はニュー吊り橋。吊り橋や温泉を紹介されるも、とても歩いていける状態ではない。立つのにさえ苦労する有様。明日の朝までにどこまで回復するのだろうか。肉をがつがつ食って一晩で傷口に薄皮がはる大藪春彦の小説の誰かをだぶらせて己の細胞を鼓舞する。
コインの洗濯機があったので一式を洗って干した。結構自分でも臭いが気になっていた。


●三日目(11日)曇り

5:50出発 宿のおじさんは5:30朝食で送り出してくれた。客はたぶん私一人。まだ薄暗いが、ライトを点けるほどではない。足は痛むが、そのうち馴染むさ(マメの痕が堅くなって馴染む)…とこの時点でも思っていた(今までそうだった)。確かに痛いが、極端に速度が落ちるほどではない。これならなんとかなる範囲かと。

7:05 津越野トンネル出口 8137歩 自販機のところで仕事に向かうワンボックスの兄ちゃんから「にいちゃん、どこまで行くの?」と声を掛けられる。まだ兄ちゃんなんやなぁ。と妙にうれしい。お互いの無事を言い交わして分かれる。 

8:00 助人隧道と高時隧道の途中 13463歩 歩道のない隧道が続く。念のためフラッシュライトの電池を入れ替える。も一つ念を入れて(フラッシュライトの球切れを心配して)LEDのサプリライトも出す。トンネル内の消灯はそれこそ命取りだ。

9:20 津越野 21224歩 ここから傾斜が幾分緩やかになる。これなら少しは歩けるようになるかなぁ。

10:20 池穴大橋過ぎ 27168歩 やはり距離は伸びない。一日30kmは楽勝だろうと思っていた。地図ソフト(プロアトラス)での実測距離だから誤差はないかと思ったが山道はカーブを省略しているところがあるので、実感では5割り増しか。次の歩き旅の大きな参考になる。

11:25 平瀬 十津川道の駅 33426歩 道の駅でそば定食を食う。ちょっと高いが十津川産(北海道の新十津川産も含む…ってちょっとインチキではと思うが、そこには悲しい歴史が!。ついでだが、分家の新十津川は「町」になってました)のそばを使った自家製粉の手打ちだ。そば自体の味ははまずまずだが、麺が粉っぽい。信州で舌が肥えたか。道の駅には足湯があってそこで右足のみ浸ける。左足はまたマメの手入れ(T_T) 12:05発 

12:50 滝をすぎて1km程度 33710歩 歩数計を落として気付いたがほとんどカウントされていない。足湯のところで取り付けが変になってしまったのか。足を放り出してしばし休憩。ぽつりぽつりと雨がくるもレインウェアーを出すほどでもない。やがて止む。

13:53 込之上 38962歩 バス停で寝転がる。もうあとは見えてきたが、かなり厳しい。マラソンのあと2km、1kmと似たような気分だ。

14:40 平谷 42137歩 久しぶりにスーパー(ってそんな大きなものではないが)のある町である。ここで絆創膏とテーピングを買った。最後は通常の3倍くらいの早さだろうか。這々の体で宿に到着。えびす荘。小さくて見晴らしのない岩風呂だがほんのり硫黄臭があって、温泉は温泉。体に染み渡らせよう。明日はいよいよ山道だ。このダメージはアスファルトの道を歩くことによるものが大きいだろうから土道は体に優しかろう。とその時は思っていた。夜に松茸の吸い物が出たが、地元のものかどうか聞くの忘れた。蚊が多くてベープマット常備。


●四日目(13日)晴れ

7:30出発 おばあさんの見送り(民宿といえばこれだ)を受けて出発。橋を渡ったらすぐ右との思いがあって一本目の橋を渡ってすぐ右の道を行く。行けども行けども果無越えへの入り口がない。ここでいつもの私ならおかしいと立ち止まるはずだ。途中でコンパスを出して見直したが、それでも間違いに気付かない。結局1時間以上のロス。またここでゆっくり休めば良かったのだが焦りからロングピッチとなってしまった。戻って柳本橋を渡ればそこにはちゃんとした案内板が…。今から思えばやはり尋常ではなかったのだと思う。体が万全でない分、精神的にも不安になっていたのだろうか。いい経験になったと思う。

9:20 果無の集落 11805歩 やっとの事でルートに戻ったが、いきなり急登。所々苔むした石畳もある。情緒はあるが味わう余裕は我にない。道は本当に民家の庭先を抜けていく。こちらが心配しそうな距離感だ。こんなところは今までで初めて。迷惑を掛けることがあって、「迂回してくれ」とならないよう切に願う。我々旅人は止められない限りはそっと過ぎ去るべきだ。結構日が高くて焦るが、コースタイム通りなら何とかなると落ち着かせる。

10:25 観音堂 歩数不明 コースタイム50分のところ55分で到着。10kgのこの荷ならもっと早くてもいいはずなのにやはり遅い。でもまずまずのタイムと落ち着かせる。(とにかく落ちつくよう心掛ける)水を満杯(2L)にして足の手入れをして 10:45出発

11:15 果無峠 17596歩 なんとか峠に到着。峠道というが完全に山道。こんなところを古の人はわらじ履きで通ってきたのか。峠で昼食。ここで初めて用意してきたカロリーメイトを4片食べる。今回は容器に入れていたのでぼろぼろになっていない。風が結構ある。歩いていると心地よいがじっとしてると寒いくらいだ。ここまで誰にも会わず。平日だからからだろう。11:30発

12:15 十四番観音 20509歩 下りがきつい。左足先が岩に当たったり。先だけが曲がるような岩角で激痛が走り思わす声が出る。ちょっと重傷かも。土のクッションは優しいが、不規則な岩の下りはとてもこの状態では対応できない。コースタイムも倍かかっている。この時点で雲取の峠越えは断念。準備不足を痛感した。ここで家に電話。たぶん熊野で止めると。山仕事のおじさんに会う。山道行程で唯一の出合だった。

13:10 七色分岐 23330歩 急な下りが続く。こんな道を本当に熊野詣でで通っていたのかと、訝しい。でもこれなしか道がなかったんだろうなぁ。川沿いはどうしても無理があったのだろうな。果てのない深い深い山奥です。海を知らないで一生を終えた人がいたのも頷ける。

13:55 一番上のベンチ 26075歩 ベンチに寝転がって空を見上げる。青い空が気持ちよい。完遂できなかった自分に少し空しさを感じるが、楽しみは来年にとっておこう。来年もこの時期は南が吉方位だ。

14:35 八木尾バス停 27754歩 ますますペースは遅くなる。ここも民家の脇をすり抜けて古道がある。登った高さが恨めしいほど下りが続く。やっと出合に到着。まだ通る人も少ないのか看板の割には控えめな入り口だ。橋のたもとの自販機でジュースの補填をしていたおばさんがいた。金歯銀歯がけばけばしいが麦わら帽子のきれいなおばさんだ。私のために、一旦作業を止めて自販機を動かしてくれた。久しぶりの晴れ間とのこと。ここはもともと雨が多いところだ。
通ってきた紀伊の山中には争いから逃れるため奥へ奥へと入ってきた先祖が住み着いたのだろう。戦いをするくないなら新天地へ逃げる。私にはその考えはすんなりと理解できる。優しい人達だったのだと思う。

15:10 萩 29625歩 這々の体で到着。(いつもそう ^^;)本宮まで行って戻ってくる予定でしたがとてもそんな余裕はない。妻が手前の宿となったことを気にしてたが、逆に助けられた思いだ。今日の泊まりは民宿まつみや。おばあちゃん一人でやってます。明治22年の大水害の時に十津川からここに越してきて旅館と薬局を始めたとのこと。百年以上の歴史です。松茸を頼んだそうですが採れなかったとのことで、ほんの欠片だけ。いやいやその気持ちだけで十分です。風呂上がりにビールを飲んで、栗ご飯食べて、寝る。ここでもベープマット常備。


●最終日(14日)

7:30出発 おばあちゃんに金魚を送るよと約束して宿を立つ。10時に着けばよいと1時間のコースタイムのところをゆっくりスタート。中辺路は整備されていて、ふつうのおばちゃんでもスニーカーでいけると思う。これが古道だと思うと小辺路でえらい目に遭うと思うけど。。

9:20 熊野大社到着 歩数不明 藤原定家に習い「感涙禁じ難し」といきたかったが、余りに俗な雰囲気に醒めてしまった。それは規模の割に多い神官とすでにやってきている観光のおじさんのせいだと思う。大社に悪気はない。それでも自宅から歩いてきた事を神前に報告し、手拭いと御符を買い求めた。巫女さんの流し目に色気を感じたら、ますます俗に戻ったのかなぁと。本宮を後にして旧社地である大斎原に行った。こちらは静かで厳かな雰囲気を味わえた。目を閉じて大地のエネルギーを足下から感じて旅は終了。
大社前の喫茶店でビールとカレーを食しながら、何枚か絵はがきを書く

11:23 バス停 予定通り八木行きの特急バス到着。バス停で十津川のタオルを持ったおじさん一人。この時間で十津川から間に合ったとのこと。普通はこのタイムで行けるんだろうな。やはり私の体は普通じゃない。と思ったら、おじさんは高野山から小辺路を辿ってきたとのこと。大股から十津川まで一日で歩き通しているのでかなりの健脚とお見受けした。私より明らかに年上なのに、少しショック。
乗客はこの二人のみ。新宮からここまでは空で走ってきたのだろうか。
途中でもう一人。このあと湯泉地で大量のじいさんばあさん、西吉野で高校生が乗ってきて五条駅で降りる頃はそこそこ満員。

15:29 王寺行きの普通電車
16:35 JR郡山着

終わった…

■旅のあとがき(10月24日)
 一週間たってやっと違和感なく歩けるようになった。日焼けした腕の皮膚も剥けてきた。痛めた左足の小指は結局爪がはがれた。次々とマメのできていた箇所の下から皮膚が再生してくる。まだ五本指のソックスは履けないが、徐々に体の表面からは旅の記録は消えていく。ただDNAには大きな刷り込みがされたと思う。今も鮮明にいろんな風景が思い出される。この一週間後、台風23号で大塔村の迂回路が流された。これで奈良から十津川への道が完全に遮断されたことになる。幹線のため、緊急で復旧はするそうだが、やはり人には厳しい自然だ。写真を見たが確かに歩いたところだ。あの道が無いと思うと少し不思議な気分だ。


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